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親潮 (駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
親潮 (駆逐艦)[おやしお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

親潮 : [おやしお]
 (n) the Kurile Current
: [しお]
 【名詞】 1. tide 2. ebb and flood 3. salt water 4. opportunity 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

親潮 (駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
親潮 (駆逐艦)[おやしお]


親潮(おやしお/おやしほ)は、日本海軍駆逐艦陽炎型の4番艦である。艦名は海上自衛隊の潜水艦「おやしお(初代)」、おやしお型「おやしお」に継承された。
==艦歴==
舞鶴工廠1938年3月に起工、1940年(昭和15年)8月に竣工し、呉鎮守府所属。第15駆逐隊に編入された。その後、陽炎型9番艦「天津風」と10番艦「時津風」の竣工にともない、第16駆逐隊に所属していた姉妹艦「黒潮」が第15駆逐隊に編入される。これをもって第15駆逐隊は(親潮、黒潮早潮夏潮)の陽炎型4隻編制となる。この4隻で第15駆逐隊は太平洋戦争に突入した。第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦神通)所属。二水戦には、「親潮」と同じ陽炎型編制の第16駆逐隊(初風天津風時津風雪風)、第18駆逐隊(陽炎不知火)が所属していたが、第18駆逐隊は第一水雷戦隊(司令官大森仙太郎少将:旗艦阿武隈)の指揮下にあって南雲機動部隊警戒隊として真珠湾攻撃に参加しており、別行動であった。
1941年(昭和16年)12月、ダバオホロ攻略作戦に参加した。
1942年(昭和17年)1月、メナド攻略作戦に参加した。以降、ケンダリー攻略作戦、アンボン攻略作戦、マカッサル攻略作戦、クーパン攻略作戦、ジャワ南方機動作戦に参加した。一連の任務従事中の2月8日、輸送船団護衛中に15駆僚艦「夏潮」が米潜水艦「S-37」に雷撃され航行不能となる。「親潮」が護衛する中で「黒潮」による曳航が実施されたが、「夏潮」は9日に沈没〔#昭和17年2月二水戦日誌(3)p.16『第一根拠地隊司令官/夏潮2月8日2215位置南緯5度36.9分東経119度6.6分ニ於テ輸送船団護衛中敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ9日0843沈没、戦死者准士官1、下士官兵7、重傷者6、9日1300』〕。陽炎型はじめての喪失艦となる。第15駆逐隊は司令艦を「親潮」に変更し、当分3隻編制で行動を続けた〔#昭和17年2月二水戦日誌(3)p.16『第15駆逐隊司令/司令駆逐艦ヲ夏汐ヨリ親潮ニ変更セリ』〕。3月15日、スラウェシ島のスターリング湾を出港し、呉まで空母「加賀」を護衛した。4月にフィリピン、カガヤン攻略作戦に参加後、5月10日、マニラを出港し呉まで空母「翔鶴」を護衛した。6月のミッドウェー海戦では第11航空戦隊の護衛任務に就いた。
7月にはペナン沖で対潜警戒活動を実施。7月5日、アリューシャン方面作戦に従事中の第18駆逐隊3隻(不知火、霞、霰)は、米潜水艦「グロウラー」に雷撃され、「霰」沈没、「不知火」・「霞」大破航行不能、18駆司令官宮坂義登大佐は責任を取り自決という大損害を受けた。そこで「不知火」達とは別行動で無事だった18駆「陽炎」を、3隻編制になっていた15駆に編入する事になり、7月20日附で第15駆逐隊は陽炎型4隻編制(親潮、黒潮、早潮、陽炎)となった〔#内令昭和17年7月分(3)p.28『内令第千三百二十四號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年七月二十日海軍大臣嶋田繁太郎 第十八駆逐隊ノ項中「陽炎、」ヲ削リ第十五駆逐隊ノ項中「早潮」ノ下ニ「、陽炎」ヲ加フ』〕。
8月7日以降、第15駆逐隊はガダルカナル島の戦いに投入された。駆逐艦によるガダルカナル島への輸送作戦『鼠輸送』に10回従事する。10月、南太平洋海戦に参加。11月12-15日の第三次ソロモン海戦に参加。11月24日、ニューギニア島ラエ輸送作戦に従事していた15駆僚艦「早潮」がB-17型爆撃機の空襲を受けて沈没、15駆は3隻編制(親潮、黒潮、陽炎)になった。11月30日、ルンガ沖夜戦に参加。12月11日、第二水雷戦隊旗艦「照月、「嵐」、「長波」、「江風」、「涼風」、「親潮」、「黒潮」、「陽炎」、「谷風」、「浦風」、「有明」と共にガダルカナル島へ輸送作戦中、「照月」が魚雷艇に撃沈される。その後、ムンダ輸送作戦に従事した。
1943年(昭和18年)1月17日からトラックで応急修理を受け、さらに呉工廠において3月22日まで修理を実施した。4月4日、横須賀を出港し、僚艦「黒潮」と共に空母「大鷹」「冲鷹」をトラックまで護衛した。
4月、ムンダやコロンバンガラ島の部隊が栄養不良などのために戦力が低下していたため部隊の補充交代が実施されることになり、4月29日から5月8日にかけて駆逐艦による6回のコロンバンガラ輸送が行われることになった〔戦史叢書 南東方面海軍作戦3、159-160ページ〕。「親潮」は4月29日の第一回、5月3日の第三回と参加したが〔戦史叢書 南東方面海軍作戦3、160ページ〕、毎回同じ航路を取ったため5月6日にアメリカの機雷敷設艦3隻(ブリーズ、プレーブル、ギャンブル)がブラケット水道に機雷を敷設した〔戦史叢書 南東方面海軍作戦3、163ページ、日本水雷戦史、310ページ〕。5月7日17時、第15駆逐隊3隻(親潮、黒潮、陽炎)はブインから第五回の輸送に出発した〔。3隻は前回同様ファーガスン水道、ブラケット水道を通って8日1時ごろにコロンバンガラ島ビラ沖に入泊し、搭載人員、物資を下ろして帰還者を乗せると3時10分ごろに出港した〔戦史叢書 南東方面海軍作戦3、162ページ、日本水雷戦史、311ページ〕。3時49分、「親潮」はアウェイ島北西約0.6海里で触雷、航行不能になった〔戦史叢書 南東方面海軍作戦3、162ページ〕。それを潜水艦の雷撃と考えた「黒潮」と「陽炎」は爆雷を投下したが、4時11分ごろに今度は「陽炎」が触雷し、5時6分に「黒潮」も触雷して瞬時に沈没した〔。沿岸監視員から日本駆逐艦が航行不能となって漂流中との報告を受けたマーク・ミッチャー少将はSBD19機、TBF3機、F4U32機、P-408機を攻撃に向かわせた〔日本水雷戦史、312ページ〕。F4UとTBFは荒天のため引き返したが残りは攻撃を行い、「親潮」の三番砲塔付近に爆弾1発が命中した〔日本水雷戦史、313ページ〕。「親潮」は南方に漂流し、同日17時5分にアンウィン諸島西端付近で沈没した〔戦史叢書 南東方面海軍作戦3、162ページ、日本水雷戦史、313ページ〕。「親潮」では91名の戦死者が出た〔。
駆逐艦「親潮」は6月20日附で、
帝国駆逐艦籍〔#内令昭和18年6月(5)p.14『内令第千二百四十四號 呉鎮守府在籍:駆逐艦 黒潮、駆逐艦 親潮、駆逐艦 陽炎|右帝国駆逐艦籍ヨリ除カル 昭和十八年六月二十日海軍大臣嶋田繁太郎』〕
不知火型駆逐艦〔#内令昭和18年6月(4)p.44『内令第千二百二十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年六月二十日海軍大臣嶋田繁太郎|駆逐艦、一等ノ部中「陽炎型」ヲ「不知火型」ニ改メ同項中「陽炎、」「、黒潮、親潮」ヲ削ル』〕から削除された。
全滅した第15駆逐隊も同日附で解隊された〔#内令昭和18年6月(5)p.13『内令第千二百四十三號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十八年六月二十日海軍大臣嶋田繁太郎 第十五駆逐隊ノ項ヲ削ル』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「親潮 (駆逐艦)」の詳細全文を読む




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